Elemental Sword

芹沢明

~第二章~
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 大気の呻りを上げ二機のヘカトンケイルが、大空を競うように飛んで行く。
 視界に見える青い空の中、白い雲が凄まじい早さで前方から後方へ流れて行った。
「セルシア。縦に百八十度ターンだ!」
「はぁ……はぁ……はいっ!」
 蒼いヘカトンケイルを追って、白いヘカトンケイルが縦にぐるりと百八十度ターンする。
 視界がぐるりと回って天と地が逆転し、凄まじい圧力がかかり潰れそうになる。
「んんんんっ!」
 丁度逆様になった所で機体をロールして水平へ戻す。視界が回り目も回りそうになる。
「セルシア。ターンする時はもっとスピードを落とすんだ。まだまだ大回りになってるぞ!」
 見ればセルシアは大回りしたせいで、蒼いヘカトンケイルと随分間が開いてしまった。
「もう一回だ」
「はいっ」

「頑張ってるなぁ。セルシア」
 ディアスはブリッジの大きな窓から、セルシアの飛行訓練を見て言った。
「頑張ってるだけじゃ駄目だな」
 その隣でシルフィールが辛辣に応えた。
「おやー。カインがかかりっきりで指導してるから、焼いてるのかなぁー」
 ディアスはニヤリと笑って言った。
「やっ、焼いてなどない。私達の仲間となったからには、あの程度では駄目だと言ってるだけだ」
 シルフィールはディアスを見ずに言った。その顔は少し赤い。

 あの夜セルシアは一番最後にオリュンポスに着艦した。
 ヘカトンケイルを脱ぐと、セルシアの周りには小さな人だかりが出来ていた。
オペレーターや整備員、ディアス、シルフィール、アル、セルフィー、そしてカインがセルシアの帰りを待っていたのだ。
 セルシアは周りの人だかりを見てビックリした。
 みんなは「無事で良かった」などと言って騒いでいる。
「え……あ……あの……」
「セルシア」
 いきなりみんなに詰め寄られて驚いているセルシアに、カインが声を掛けた。
「もし良かったらこのままオリュンポスに乗らないか? 仲間になってくれると嬉しいんだがな」
「……」
 カインの言葉にセルシアは胸がいっぱいになり、とっさに言葉が出なかった。
「……はい」
 セルシアは目を潤めながらそう応えた。
「お帰りセルシア」
 そう言われた瞬間。セルシアは堪えられなくなった。
「……ただいま」
 セルシアは涙をこぼしながら言った。
「お帰り」
「お帰りなさい」
「お帰りー」
 周りのみんなもいっせいに「お帰り」を連発した。
 セルシアは涙をを拭い取ろうとしたが、次から次へと涙がこぼれ落ちた。
「ありがとう。みんなありがとう」
 嬉しかった。みんながこれ程まで自分を思ってくれるのがたまらなく嬉しかった。セルシアは涙を流しながら、極上の笑みを浮かべた。
 そんなセルシアを素直に喜べない人が一人いた。
 シルフィールだ。
 セルシアを救出できて嬉しいことは確かだ。しかしこのままセルシアが仲間になることが喜べないのだ。
 確かにカインはセルシアに興味を抱きつつある。それは自分にとってあまり好ましい状況ではない。いっそ仲間に入れることを反対したかった。しかし状況が状況だ。そんな意見が通るはずがない。それに「理由は?」と聞かれたら答えられるはずがない。
シルフィールはチラリとカインを見たが、すぐに視線を外した。セルシアに向けるあの笑顔を見ていたくなかったのだ。あの笑顔を自分に向けて欲しかった。しかし今は……
 だが全く望みがなくなったわけではない。カインと一緒にいた時間は自分の方が遙かに長い。子供の頃のあの約束。幼なじみとも言えた絆。
 だが恋に時間はいらない。
 子供の頃の約束は、所詮子供の約束でしかないのかもしれない。
 そう思うとせつなくなり胸が苦しくなる。
 思えばカインとの仲はそれ程進展などしてなかった。
 子供から少女になり、御学友から近衛騎士になると、周りの者のシルフィールを見る目が変わった。理由はもちろん、いくらシルフィールが貴族とは言えカインは王族だからだ。しかもカインは三男坊と言うことで、王や一番上の兄は、カインに政略結婚させようと考えていたので、シルフィールは邪魔者だったのだ。けれどもシルフィールはカインの数少ない心を許せる友達だったので、邪魔だとしても引き離す程ではなかった。
 でも周りの者は監視するかのようにシルフィールを見て、シルフィールもそれに気づき、その状況を受け入れるしかなかった。
 カインは悲しそうな目をしていたが、その内戦争が始まりそれどころじゃなくなった。
 そしてカインが国を出奔して、シルフィールもまるでそれを待ち望んでいたかのように、一緒に出奔した。
 今はもうカインの心は変わってしまったのだろうか? それとも所詮は子供の頃の話しだったのだろうか? それとも……それとも……
「ール……シルフィール」
「……」
「……シルフィー」
「!」
 考え事にふけっていたシルフィールは、ハッと気づいてディアスを睨め付けた。
「幼少の頃のあだ名はやめてくれと言っただろ」
 理由は簡単。セルフィとーかぶるからだった。
「何度呼んでも返事しないからさ。どうした? ボーっとして」
 ディアスは少し心配そうに言った。
「何でもない。少し考え事をしていただけだ」
「……そうか。でもあんまり考えすぎるのは良くないぞ。俺で良かったら話しくらいは聞いてやるからさ。愚痴こぼしたっていいんだぞ。幼なじみだろ。シルフィー」
「……優しいな。ディアスは」
 シルフィールは小さく笑って言った。
「そうでもないさ」
 ディアスはシルフィールから視線を外して言った。ディアスは自己嫌悪に陥っていた。
「?」
「この話しはまた後でな。カインとセルシアが着艦したぞ。さ~て、訓練室へ行くとするかぁ~」
 ここ数日のセルシアの訓練スケジュールでは、ヘカトンケイルの飛行訓練が終わると、次は剣の稽古があるのだ。型から始まり一対一そして多対一の手合わせが行われる。そのためにディアスとシルフィールがかり出されるのだった。
 シルフィールの口の端が笑みの形につり上がる。きっと手加減などしないのだろう。
 それを見てディアスは背中がぞくりとした。はっきり言ってびびっていた。

 セルシアはヘカトンケイルを脱ぐと、シャワーも浴びずにカインの後を追って訓練室へ向かった。どうせ今シャワーを浴びても、すぐに汗だくになる。それだったらシャワーは後で浴びればいい。
 訓練室に入ると、すでにディアスとシルフィールが手合わせをしていた。
 金属と金属がぶつかり合う甲高い音が立て続けに響いたと思ったら、ギィィンッと防御障壁が悲鳴を上げた。
 各自自分で防御障壁を張り剣には魔法をかけない。そうする事で普通の剣では防御障壁は破れないので、寸止めはいらない。実戦さながらの訓練ができるのだ。
 セルシアは何種類かの基本的な型をこなすと、カイン相手に剣を構えた。
 セルシアは緊張していた。剣の稽古をつけてくれるのは、エスターニア王国一の剣の使い手と歌われた、剣豪カインなのである。セルシアでなくてもカインに憧れる剣士や騎士だったら、緊張するなと言う方が無理だ。
お互い礼に従い一度剣を合わせてから、セルシアは間合いを取った。
 セルシアは隙を見つけようとするが、カインには隙がない。それに稽古だと言うのに凄まじい剣圧をかけてくる。セルシアはどう攻めようかと迷ったその瞬間。
「うっ……」
 セルシアの喉元にカインの剣が突き付けられていた。
 隙を探ろうとして逆に隙を作ってしまった。
「迷うな。そこに隙が生まれる」
 カインはまるでセルシアの考えている事がわかっているように言った。多分迷いが剣に出たのだろう。
「隙が見つからないのなら、隙を作らせるように攻めるんだ」
「はい」
 セルシアは果敢に剣を打ち込んでいった。自分の知る限りの全ての技を使ってカインに斬撃を打ち込んでいく。しかし全て弾かれ、受け流され、そして避けられた。
 カインには何本も取られ、その度に色々な点を指摘された。そして様々な技やそれの対処方を実戦経験をふまえて教えられた。
 次にセルシアはディアスと稽古をした。一人だけでなく色々な性格の剣を経験した方が、実戦で役に立つ。
 ディアスの剣はかなりの曲者だった。
 ディアスは変幻自在に剣を扱い、特にフェイントが上手い。剣だけでなく体の微妙な仕草や目でフェイントをかけてくる。
 経験不足のセルシアは、端から見て面白いまでに引っかかった。
 人を騙すような剣は神殿では教えてくれなかったのだ。
 ディアスは苦笑しながらも様々なフェイントや技を教えていった。
 そしてシルフィールとの稽古が一番きつかった。
 凄まじいまでの威圧感を常に感じるからだ。カインがかけてくる剣圧とはまた違う。鋭く冷たく、背筋がゾクリと寒くなる感じだ。まるで戦場にいる気がする。
 最初は殺伐とした人だなぁとセルシアは思っていたが、剣を合わせる度に目と目が合う度に、徐々にわかってきた。それは殺気だった。敵意にも似た凄まじい殺気だった。少しでも気を抜いたら本当にバッサリと斬り殺される気がしてくる。シルフィールの剣がセルシアの防御障壁に当たる度に、セルシアは死の恐怖を味わった。
「剣術は遊びではない! 人を殺すための技術だ!」
「相手の気迫に飲まれるな! 私を殺す気で来い!」
 シルフィールは技術よりも精神論の方を説いていた。戦場において相手を殺さなければ自分が殺される。
 剣士として強くなるためには、ある程度吹っ切れる必要がある。生き残るためには相手の命を奪わなくてはならない。その時ためらいがあってはそこにつけ入られる。非常にならなくては生き残れないのだ。だがそれに飲まれてはいけない。剣士は人を殺すが、決して殺人鬼ではないのだ。そうなってはいけないのだ。
 実戦経験に乏しいセルシアに、シルフィールは剣を交えながら精神的な物をセルシアに教えていった。もちろんその際手加減はしない。あくまで精神論を説くのは、セルシアへ向けた殺気を誤魔化すためなのだ。
 一通り回ると今度は多対一の場合を想定しての訓練に移っていった。
 剣の稽古が終わるとセルシアはへとへとに疲れ果てた。
 セルシアはシャワーを浴びると、自分の部屋のベットに横になった。このまま眠りたかったが、この後みんなの夕飯の支度をしなくてはならない。
 そもそもこんな激しく辛い稽古など神殿ではなかった。神殿騎士達があっさりとカインとディアスに切り倒されたのも頷ける。だがこれを克服しなくては、カイン達の足を引っ張る事になる。それだけは嫌だ。それに稽古をつけてくれと言ったのは、他の誰でもないセルシアだったのだ。その稽古は予想外に厳しい物だったが、今更弱音は吐けない。
 セルシアは少しの間休憩を取ると、夕飯の支度のために立ち上がった。みんなの食事を作る。これが今セルシアにできるたった一つ恩返しなのだ。
 そんな日々がしばらく続いたある日。カイン達のもとへある依頼が来た。
 通信用魔法装置などによって依頼などを仲介する、冒険者ギルドから送られた来た依頼だった。
 もともとカイン達は傭兵団になっていたのだ。その傭兵団の名は飛行艇の名から取って『オリュンポス』。と言っても戦争のないこの時代、モンスターや盗賊団を討伐したり、困った人達を助ける何でも屋と化していた。
 それ以外にも情報を買って冒険者のような一攫千金を狙って、遺跡の探索などもしている。カインは宮廷にいる時から古代魔法時代のマジックアイテムを集める趣味があったので、トレジャーハンターとしての仕事もしているのだ。まさに何でも屋である。
 今回来た依頼は「困った人達を助ける」部類の依頼だった。
 内容は依頼人をラテールの都市からミルロイドの都市まで輸送すると言った物だった。
 ラテールの都市は商業都市だ。多分依頼人は大金持ちなのだろう。通行手段としては民間用の大型飛行艇が出ているのだが、金持ちの中には割高でも飛行艇を持っている何でも屋を使う場合が多々ある。民間用の大型飛行艇は定時制だが、個人の飛行艇なら融通も聞くし足も速い。急ぎの用などの時は絶対に個人用の飛行艇の方が早く目的地に着けるのだ。それもその飛行艇が傭兵団の物なら、空賊が出ても自動的に護衛してくれる。今回の依頼もその類の物なのだろう。
 ただ目的地のミルロイドの都市が王都の近くなのが気に食わなかったが、前のローレンツ教の依頼では全く金が入らなかったので、受けることにした。それに簡単な依頼だったので、セルシアに初仕事を体験させるにはもってこいの依頼だった。
依頼人との待ち合わせ場所のラテールの都市は、国境近くの商業で栄えた都市だから、他国の商団もこの都市に訪れ貿易も盛んだ。そのため都市の周りは高い城壁で囲まれ、都市の出入りのチェックも厳しい。
 カイン達はオリュンポスをラテールの郊外に着陸させると、依頼人に会うべくカインはディアス、シルフィール、アル、セルフィー、そしてセルシアを連れてラテールの検問を通って都市内へ入って行った。
ラテールはさすが商業が盛んなだけあって活気で満ち溢れていた。
 メインストリートには様々な店が連なり、少しでも隙間があると、そこには露店が争うように出ている。
 そのメインストリートを行き来する人々もまた様々だった。ラテールは西の隣国ルンドとの国境近くにある。四年前まで戦争をしていた東の隣国ルーデンハイムとは違い、エスターニアとルンドは友好関係が続いていたので、ルンドから多くの人々がこの都市にやって来る。そしてやって来るのはルンドの人間だけではなかった。
 エルフやドワーフなどデミヒューマン亜人間の姿も、それぞれの国からやって来るのだ。
まるで絵画から抜け出てきたような、美しい森の妖精エルフは、人間には作ることのできないような魔法の品を、酒樽のような寸胴な土の妖精ドワーフは、その外見からは想像できないような素晴らしい細工物を売りに来ている。
 ここではあらゆる物が手に入るのだ。だがそれは裏の市場でも言えることだった。裏では禁制品や麻薬なども多く出回っている。王都とも随分離れているのもその原因の一つだった。
 そんな距離移動するため、オリュンポスに依頼してきた依頼人は、メインストリートの大きなホテルに泊まっていた。そのホテルは普通の宿とは比べ物にならない程大きい。利用するのは余程の金持ちか、貴族くらいな者だろう。
 いくらここが国境近くとはいえ、もしかしたらカインの顔を知っている貴族がいるかもしれない。だからカインはフードを目深く被って、依頼人が待つ部屋の前まで来た。
 カインがフードを取って部屋をノックすると、中から返事がした。
「どちら様でしょうか」
 警戒しているのだろうか。ドアを開けずに中から男の声がした。それもまだ若い。カインと歳はたいして変わらないだろう。依頼主の護衛なのだろうか。どこかで聞いた事のある声でもあるが、似たような声は沢山ある。多分気にしすぎだろう。
「オリュンポスの者だ。依頼主のキエルさんはいるか?」
 カインがそう言ったとたん。
「お待ちしておりました!」
中から歓喜にも似た声が返ってきた。そしてカチャリと鍵の開く音がしてドアが開いた。しかし開いたのは目の前のドアだけではなかった。両脇のドアも開いて、中から鎧と剣で武装した騎士達が出て来た。両脇から三名づつ、目の前に一人、計七人の騎士達がカイン達を取り囲んだ。
「わ、罠だったの!」
 セルシアはとっさに手を剣に掛けたが、隣にいたディアスがそれを制した。
「……罠には違いないな。でも敵じゃない」
 カインは驚いた後、苦笑しながらセルシアに言った。
「へっ?」
 セルシアはわけがわからず騎士達を見た。白を基に青で装飾された鎧の左肩には、今にも空に飛び立とうとしているグリフォンの紋章が付いている。
 セルシアが騎士を観察している内に、騎士達はいっせいに片膝を付いた。
「ご無礼をお許しください」
「えっ、えっ?」
 状況がわからないのはセルシアだけだった。
 片膝を付いた騎士達は、エスターニアでもっとも有名だった、カイン直属の王国第三騎士団だった。その中でもここにいるのは近衛騎士なる者だ。
 カイン達を取り囲んだのは、自分達が姿を見せたらカイン達が逃げ出すかもしれないと思ったからなのだろう。
「カイン様。再びお会いできようとは……感無量でございます」
 目の前の騎士が顔を片膝を付き、顔を伏せたまま言った。
「みんな楽にしてくれ。俺は王家を捨てた身だ。もう殿下でも王子でもない」
「そんなこと! 我々は認められません。殿下は殿下です!」
 目の前の騎士は訴えるように言った。
「ヨシュア……まあいい。それでこれはいったいどういう事なんだ?」
「それは中に入ってくださればわかります」
 ヨシュアは真剣な顔になって言うと、恭しく頭を下げてから進路を譲った。
 カイン達が部屋の中に入ると、そこに待っていたのはもちろんキエルとかいう依頼人ではなかた。
「爺!」
 部屋の中にいたのはカインの子供の頃から世話をしてきた爺、ロフェル侯爵だった。
 ロフェルはかなりの歳の老人だが、まだまだ活気に満ち溢れて、そのため実際の歳よりか若く見えた。
「お久しぶりです。カイン様。随分と探しましたぞ」
「……爺」
「突然出奔なされてからこの三年半の間、心配で心配で寿命が縮まる思いでしたぞ」
「それはすまなかったな」
「いえいえ、またこうしてお会いできたのですから。それより大事なお話があります。どうぞお座りください」
 そう言ってロフェルは目の前の豪華な椅子を勧めて来た。
「ディアス殿達もお座りください。おやっ……そちらの見ないお嬢さんは?」
 ロフェルはセルシアを見て眉をひそめた。
 後ろに控える近衛騎士達も同様にセルシアを訝しく思っているのか、ロフェルと同じ顔をして、セルシアをチラチラと見ていた。
「信頼出来る仲間だ。気にすることない」
「そうですか」
 カインにそう言われてロフェルは納得したようだ。それ程カインを信頼しているようだ。近衛騎士もやっと安心したかのようだ。
「話しの前に聞きたい事がある」
 カインは椅子に座ると始めそう切り出した。
「何でしょうか?」
「どうやって俺達の場所がわかったんだ?」
「俺だなんて……この三年半の間に随分と言葉遣いが悪くなりましな」
「そんなことはどうでもいい。どうしてわかったんだ」
「残念ながら我々はカイン様の捜索には諦めていました。しかし情報と言うのは思いもよらない所から舞い込んで来る物ですね。我々はここ数年ローレンツ教が不審な動きを見せていたので、密偵を送っていたのです。最近、ローレンツ教の実験施設の内の一つが消滅したそうですな」
「うっ」
 心当たりのあるカインが呻いた。
「そこに送り込んでいた密偵が、そこでアポカリプスを見たと……」
 ロフェル侯爵がそう言った瞬間、アルがビクリと身を震わせた。カインもそんなアルに視線を送る。しかしアルはその視線に気づかないふりをした。悪いのは自分だけじゃない。
「そして王家の飛行艇も見たと。もちろんその密偵は最近のローレンツ教の動きを逐一調べていましたから、最近の事件でどんな依頼をどんな人達に頼んでいたか、連絡の付け方はどうすればいいかなど、全て調べていました。優秀な人材です。ですから実験施設を襲撃したお方とは、すぐに連絡が取れたのです」
「……そうか。わかった。それで俺に王国に戻って来いと」
 カインはだるそうに言った。どうせ何を言われても帰るつもりはない。
「もちろんそうであります。お父上がお亡くなりになられたのは……ご存じですな」
「……ああ、死に際にも、葬儀にも立ち会えなくて申し訳なく思っている」
 この時ばかりはカインはうつむいて言った。
「では、お父上の死因はご存じですか?」
「死因……どういうことだ!」
 カインは目を鋭くして詰問した。
「カイン様のお父上クリサット様は、カイン様の兄上・・・・・エルウィンに毒殺されたのです」
「何だって!」
 これはカインだけでなくディアス達にも衝撃が走った。
 そしてロフェル侯爵がエルウィンに敬称を付けなかった事から、対立している事がわかる。それは王国が今二つ以上の勢力が争っている事を示していた。
 カインが出奔してから、長男エルウィンがその本性を現し始めたのだ。
 エルウィンはかなりの野心家で、何かと邪魔な、英雄的存在のカインを宮廷から追い出した後、王であるクリサットが病に倒れ、床に伏せていたのをいい機会に、少しづつ毒を盛り病の悪化に見せかけてクリサットを毒殺。それを知り兄の暴虐を暴こうとした次男ギルバルトは、エルウィンの策略にはまり王家反逆罪とされ、王都から離れた要塞へ幽閉された。更に野心家のエルウィンは、更なる領地拡大を狙い、隣国コルベットとの戦争を再開すべく、戦争準備のために増税を開始した。
 そんなエルウィンについて行けず、宮廷内のカイン派、ギルバルト派の貴族は、皆カインの帰還に期待していた。
 またカインが出奔した後、カインの騎士団は解散され、ギルバルトを始めとする幾つかの騎士団に吸収された。ただエルウィンの騎士団にだけは、誰一人として行かなかった。中にはそのまま騎士団を去った者さえいる。
 そのカインの騎士団も今再び結集して、ギルバルトの騎士団に協力し、シュレイダー公爵を始めとする反エルウィン派の貴族の元で、反乱を起こそうと王都西にあるミルロイド都市のすぐ南にある要塞で、機会を虎視眈々と伺っていた。そこにカインの居場所がわかったと言う知らせが来た。これ程の朗報はない。嫌が応にも士気は高まった。そしてこの機会を逃さないために、カインの爺でもあるロフェル侯爵を使者として、カインに接触しに来たのだ。
「何てことだ……」
 カインは出奔してから今まで、色々な国々を旅して回っていた。そのため故郷の情勢には疎かったのだ。そしてたまたま故郷に立ち寄ってみれば、まだ表面上には現れてないが、内部ではとんでもない事が起こっていたのだ。
 父が死んだのは耳に入っていたが、毒殺とまでは知らなかった。ギルバルト兄さんが幽閉されている事も知らなかった。そして権力争いがここまで悪化しているとは思いもしなかった。
 カインは今、過去自分がいかにエルウィンの野望を押さえる関となっていたかを実感した。自分が王宮から逃げ出したせいで、エルウィンの野望が氾濫したのだ。
 父が毒殺されたのも、ギルバルト兄さんが幽閉されたのも、何もかも自分のせいな気がした。みんなが苦しんでいる時に、自分は好き勝手に楽しんでいたのだ。カインは自己嫌悪に陥り、後悔し、自分に対して怒りを覚えた。
「カイン様。どうか我々をお助けください。ギルバルト様を救出し、エルウィンを討ち、お父上の敵を取ってください」
 ロフェルは頭を下げて懇願した。
「頭を上げてくれ、爺。頼まれなくたってギルバルト兄さんを助け出し、父上の敵を取る」
「カイン様。そう言ってくださると信じていました」
「詳しい話しはミルロイドに向かいながら飛行艇の中で聞く。皆ついてこい」
『はい!』
 後ろに控えていた近衛兵達から歓喜の返事がし、ロフェルは嬉しさのあまり涙をこぼしそうになった。
 そしてカインはディアス達の方に向き直った。
「これからしばらく堅苦しくなるな。シルフィール、セルフィー。セルシアに宮廷作法を教えてやってくれ」
「仰せのままに」
「御意」
 シルフィールもセルフィも、いつもの口調と変わっていた。近衛騎士と宮廷魔道士のそれになっていた。ロフェルや他の近衛騎士の前で、さすがにカインとタメ口はきけない。
 セルシアは神殿で礼儀作法は習っていたが、宮廷作法などはまるで縁がない。だから黙っていた。口を開けば恥をかくことになるから。

 ミルロイドに向かうため、ロフェル侯爵とカイン直属の近衛騎士をオリュンポスに連れて来ると、ネイルを始めみんながが驚いた。まさかこういう展開になるとは思いもしなかったのだろう。しかしカインから今のエスターニアの状況を聞くと、みんなの顔色が変わった。そして状況とすべき事がわかればみんな素早い。オペレーター達はミルロイドまでの、一番安全で一番早い経路と割り出し、オリュンポスを空と言う名の海に出向させた。
 その後はオペレーター達に任せ、カインはラテールのホテルの部屋にいた者にネイルを加えて、オリュンポス内の会議室へ向かった。
 そこで今の詳しい状況をロフェルに聞くことにした。
 勢力は大きく分けて三つあった。一つはカイン・ギルバルト派。もう一つはエルウィン派。そして残る一つは中立派だ。
 今の状況は機会を伺っての水面下の睨み合いが続いていた。エルウィン派の連中はカイン・ギルバルト派がカインと接触した事をまだ知らない。知ればカインが到着する前に、それを阻止しようと動き出すだろう。
 ギルバルトが幽閉されている要塞も、カイン・ギルバルト派が集結した要塞も、エスターニアの東部にある。どちらも東の隣国ルーデンハイムとの戦争時に作られた物だ。ロフェルが西の国境近くのラテールでカインと接触したのもそのためだった。
 肝心な戦力は、単純に考えてもカイン・ギルバルト派とエルウィン派の騎士団の数だと、カイン・ギルバルト派の方が二倍の数がる。しかし中立派はカイン・ギルバルト派の方から多く出ているので、その差は僅差しかない状態だった。
 それもそのはず。エルウィンが実権を握っている今の状況からすれば、カイン・ギルバルト派の方は反乱者になるからだ。かと言ってエルウィン派に付きたくない者は、保身を考えて中立派としてどちらにも付かずにいる。それでいて状況が大きく傾き、内乱が終息する寸前になると、狙いをすましたかのように有利な方へと付き、あたかも自分が貢献したかのように振る舞い、後の権力を得ようとする。浅ましい奴らだ。
 だがその中立派の事を考えると、初戦が大事になってくる。初戦で良い勝ち方をしなくては、やはり反乱は無理だと思われ、中立派がエルウィンに付く恐れがある。そうなると数の上で不利に立たされる事になる。
 最終的にはエルウィンを討つため、王都に攻め入る事になるだろう。愚かにもエルウィンが王都の民の事を考えずに、籠城戦に持ち込んだ時の事を考えると、中立派の連中の数を入れないと、苦しい戦いになる。
 エルウィン派の騎士団の数は約四万。対してカイン・ギルバルト派の連合騎士団の数は約五万。中立派の騎士団は合わせて約三万と言うところだった。数の上では今のところ少し有利だ。
 しかしギルバルトを救出するために、初戦も籠城戦になるだろう。密偵によるとギルバルトを幽閉してある要塞グーグリスには、二万の騎士団が配属されている。しかし二万と言えども決して侮れない。籠城戦は攻めるに難しく、守るに簡単なのだ。それ故攻める方は倍以上の数で攻めなくては勝つのに難しい。
 例え全軍でグーグリスの要塞を落としたとしても、こちらの兵の数も減っては王都を落とすことは難しくなる。エルウィンが兵を分けたのもそのためだ。例えいきなり王都を攻めたとしても、ギルバルトを人質に取られたままだと不利になる。そうなるとやはり中立派を何としてでもこちら側に引き込むしかない。だからこそ英雄カインが見事グーグリスを落とし、ギルバルトを救出しなければならない。そうすれば中立派の騎士団だけでなく、民軍も協力してくれるかもしれない。それにミルロイドに集まった騎士団は、ギルバルトを救出するために集まっているのだ。
 初戦は負けられない。いや。より良い勝利を収めなくてはならないのだ。

 数日後、オリュンポスがミルロイドの要塞に到着すると、凄まじい歓声が上がった。
 着陸する前から大勢の騎士達が駆けつけ、大変な大騒ぎとなった。着陸の邪魔にだけはならなかったのが、せめてもの救いだった。
 出迎えには貴族達がずらりと並んでいた。そこにカインがオリュンポスから降りると、
貴族達は胸に手を当ててこうべ頭を垂れた。
「カイン様。お久しゅうございます。再びお目にかかれて光栄に存じます」
 シュレイダー公爵が代表で挨拶をしてきた。
「久しぶりだなシュレイダー。状況はロフェルから聞いた。早速だが軍事会議を開く。皆を集めてくれ」
「わかりました。では会議室へご案内いたします」
 シュレイダーは再び恭しく頭を下げた。
 軍事会議には将軍、各騎士団の団長、そして宮廷魔道士が出席する事になっている。近衛騎士団長のネイル、そして宮廷魔道士のアルとセルフィーは当然出席することになる。残されたのはディアスとシルフィールそしてセルシアだった。
「彼らと船員には先に部屋を案内してやってくれ」
 カインがディアス達の方を示して言うと、シュレイダーはおやっと眉を上げだ。
「そちらの御婦人は? 見ない方ですね」
 シュレイダーはセルシアを見てロフェルと同じ様な反応をした。それもそうである。カイン程の人物の側にいる人間は自然と限られてくる。自分の知らない人物がカインの側にいたら、気にならないはずがない。
「俺の新しい近衛騎士。セルシア・ラルクハート子爵だ」
「!」
 それを聞いてセルシアの方が驚いた。
 カインは色々と悩んでいた。自分が王族としてしばらく行動する際、セルシアを側に置いておくためには、セルシアにも肩書きが必要だった。自分はいいとしてもただの平民だと周りが納得しないし、セルシアにとっても居心地が悪い所になってしまう。
「何と! それは素晴らしい。ですがラルクハート家とは聞き覚えがないのですが……」
「元平民だ。平民上がりは珍しいが前例がないわけでもないだろ」
「そうでございますな。つきましてはセルシア子爵の御功績はどのような物でございますか? 皆に説明しなくてはなりませんのでお聞かせください」
 シュレイダーが尋ねるのももっともな事だった。カインの近衛騎士になるには難しい資格審査を受け、その後カインにその人柄を認められなくてはならない。不意に平民が近衛騎士になっては、今まで近衛騎士になろうと頑張っていた騎士達が納得いかないし、今の近衛騎士からも不満が出る。シュレイダーだけでなく、側にいたロフェルの護衛をしていたカインの近衛騎士も、次のカインの言葉を待った。
「セルシアはローレンツ教の実権施設で、俺達と一緒にローレンツ教の巨大ヘカトンケイル、スレイプニールを倒すのに貢献した。十分な功績だと思うが。それに俺が認めた事だ」
「おおっ! あのスレイプニールをですか! 万人にできることではないですな。素晴らしい。新たな貴族誕生に心から祝福を送ります。セルシア子爵殿」
 スレイプニールの事は密偵から伝わっているのだろう。シュレイダーは大げさなまでに驚いて見せ、セルシアに祝福を言うと、手の甲をに口づけした。
 それを見聞きした周りの近衛騎士達も、セルシアを認めるしかなかった。
「こ、光栄極まりないです」
 セルシアは緊張でガチガチになりながらも、何とか声を絞り出して言った。
「はっはっはっ。おっとこれは失礼。ですが貴族として一刻は早く慣れて頂かないといけませんな」
 そんなセルシアを見てカインはプッと吹き出した。いたずら心でセルシアには事前に教えなかったが、予想以上の反応だった。
「叙任の儀式はギルバルト兄さんを救出してから執り行う。それまでは正式な貴族ではないが、セルシアを貴族として扱うように」
 カインはすぐさま顔を整えて改めて言った。
「わかりました。それでは彼女らはロフェル侯爵に任せて、そろそろ会議室へと参りましょう」
「そうだな。では行くとするか」

 カイン直属の近衛騎士と言うのは、エスターニア王国において大変名誉なことである。カインの所有する騎士団は何万といるが、近衛騎士はその内十人しかいない。セルシアが叙任されれば十一人になる。非常に狭き門なのだ。
 セルシアはローレンツ教で聖騎士になっていたが、それはローレンツ教内でしか通用しない。しかし王国の近衛騎士は違う。一般兵士としての騎士は平民と身分は変わらないが、宮廷騎士や近衛騎士など上級騎士になると貴族の仲間入りになるのだ。
 そしてセルシアを近衛騎士に叙任するのは、側に置いておくためだけではなかった。
 カインがギルバルトを救出し、その際に新たな貴族が誕生したとなれば、中立派の連中は焦り出すだろう。カインとギルバルトが勝利して、セルシアに続いて新たな貴族が誕生したら、内乱終息後もしかしたら中立派だった者に代わって、権力を得る危険性が出てくるのだ。そうならないためにも、早い内からカイン達の方へ付く必要性が出てくる。逆にエルウィンの方へ付く可能性もあるが、ギルバルトを救出した後では、勢いや状況からしてカイン達の方へ付く可能性が高い。
 いわばセルシアの叙任は中立派を刺激する布石でもあるのだった。
そんな策略が影で働いているなど知らないセルシアは、案内された部屋を見て度肝を抜いた。
 部屋の広さは普通の家一件分くらいはあり、床には美しい絨毯が敷かれ、壁には豪華な調度品が並び、天井にはきらびやかなシャンデリアが吊されている。奥にある寝台は何人も寝れそうなくらい大きく天幕付きだ。
「……」
 セルシアは今まで話しに聞いた事しかない光景を、目の当たりにしていた。
「今宵はカイン様ご帰還の宴があります。それまで何か御用がありましたら、呼び鈴をならしてくださいませ。それでは失礼いたします」
 そう言ってロフェルに頼まれ、セルシアをこの部屋まで案内して来たメイドは下がって行った。
「ご、ご苦労様です」
 一人部屋に残されたセルシアは呆然とした。何が何だかわからなくなった。
 案内してくれたメイドは自分のことを様付けで呼ぶし、目の前の光景はまるでおとぎ話だ。いったいいつから自分はおとぎの世界にさまよってしまったのだろう。
 しかし考えてみれば宮廷作法を教えられたのも、ただ単に宮廷の人達との対応だけでなく、実はこのためだったに違いない。
 いきなりこんな場所に連れてこられて、セルシアは落ち着けず、所在なく部屋の中をウロウロしていると、コンコンコンとドアをノックされた。
「はいっ、どうぞっ」
 セルシアは心臓が跳ね上がりそうになりつつ、声が裏返りつつも何とか返事をした。今度はいったい何が起こるのか? まだ身に付いていない宮廷作法で、自分は貴族相手に対応出来るのか? 怖くて怖くて足が震えた。ここはセルシアの知る場所とはあまりにもかけ離れていたのだ。
「失礼する」
 そう言って入って来たのはディアスとシルフィールだった。
「……はぁうぅ」
 それを見て安心したセルシアはその場にへたり込んだ。
「おいおい大丈夫かって、無理もないか……」
 ディアスは気の毒そうにセルシアを見下ろした。
「カインも意地悪だよな。事前に教えて上げれば良かったものを……」
「ディアス。壁に耳あり窓に目ありだ。切り替えろ」
 シルフィールが油断するなと指摘する。宮廷は精神的な戦場なのだ。
「おっ、いっけねぇ」
「私、貴族になるの?」
 セルシアは嬉しさ半分、不安半分と言った感じで尋ねた。
「それに関しては喜びきらない内に言っておこう」
 そう応えたのシルフィールの方だった。シルフィールはセルシアの横に片膝付いてしゃがみ込むと、耳打ちするように小声で話しかけた。
「この事件が終わればカインはまた出奔する。もちろん私達もまたカインに付いて行く気だ。セルシアも付いて行くのなら、貴族なっても身分は何の意味もなくなる。貴族は宮廷の後ろ盾があってこそ貴族だ」
「そうなの」
 セルシアは残念そうな、それでいて安心したかのようだ。
「だがカインに付いて行かないのなら、このまま貴族の特権を酷使できる。領地が与えられるだろうから、そこで豪華な人生を送る事ができる。結局はセルシア自信の選択次第なのだ」
 私としてはこのまま残って欲しいのだがなと、シルフィールは心の中で付け加えた。
「私は……カインに付いて行く。元々貴族になりたくて付いて来たわけじゃないし……」
「そうか」
 シルフィールは立ち上がりながら、顔に何の表情も出さずにそう言った。予想できた応えだった。
「とりあえず近衛騎士の規律を教える。そろそろ立て」
「……腰抜けちゃったみたい。たはははっ」
「……」
「あちゃぁ」
 ディアスは額に手をやって呆れた。

 この日の夜、ミルロイドの要塞でカインの帰還を祝って壮大な宴が開かれた。
 要塞には五万の人間が集まっている。そのため宴はホールでバルコニーで中庭でと、要塞の様々な場所で行われた。
 仮の玉座を作られた宴の間には、貴族や各騎士団長が集まっていた。
 玉座には正装したカインが座りその右隣には、近衛騎士団長であり将軍であるネイルが立ち、左隣には宮廷魔道士であるアルベルトとセルフィーが立っている。少し離れは所に近衛騎士達がずらりと並んでいる。その中にセルシアの姿があった。
 セルシアはてっきり宴に参加できるものだと思っていたが、近衛騎士はこのような時でも、主君の警護に当たらなければならない。それでこそ近衛騎士なのだ。そしてこれは大変名誉ある仕事でもある。
 宴の始まりにカインが玉座から腰を上げ皆の前に立った。
「皆久しぶりである。出奔した私にこのような帰還の宴を開いてもらい、大変嬉しく思う。これから兄上を救出する作戦が行われるが、今宵は皆も存分に楽しんでもらいたい」
 そこでいったん宴の挨拶を切り、笑顔がきりりと引き締まる。
「先程の会議で兄上の救出作戦の決行は明後日に決まった。私は約束しよう。必ずや兄上を救出し、エルウィンの暴虐を阻止することを!」
 帰還した英雄がそう宣言すると、皆から歓声が上がった。カインはそれを手で制して静めると、手に取ったワイングラスを掲げた。
「祖国エスターニアに!」
 皆もそれに合わせ手に取った杯を掲げた。
 この宴はカインの帰還祝いのためだけではない。これから開始されるギルバルト救出のための作戦における、軍の士気を向上させるためのものでもある。カインはどちらかというとそのための宴だと思っている。そのため演説が終わり宴が始まると席を離れ、各貴族と顔を合わせると、今度はホールへ向かった。そちらでは多くの騎士達が宴を楽しんでいる。そこに顔を出して自分が帰還した事、これからの作戦の事を演説し、騎士達の士気を高めていった。これも王族としての責務である。続いて屋外の宴の会場である中庭へ回り、再び宴の間へと戻って来た。そこで初めて宴を楽しむ事だできた。
 近衛兵達も移動の間の護衛を解かれ、やっと宴に参加できた。だが他の貴族達のようなきらびやかな服装でとまではいかなかった。近衛騎士の制服のままだが、それでも宮廷風のなので違和感はなかった。
 宴の間にはずらりとテーブルが並べてあり、その上には豪華な料理が並べてあり、着飾った貴族達が華やかな喧噪を奏でていた。
 セルシアにとってそれはまるで未知の世界だった。
 本来なら新たな貴族候補としてセルシアは注目されてもおかしくなかったが、それ以上にカインの帰還に皆の関心を引き、幸いにしてセルシアは目立たずにすんだ。それでもセルシアは緊張して料理を食べても味などわからなかった。
 
 全軍で進撃が始まった。
 グーグリスの要塞を落とすためには兵を分けるわけにはいかない。だからミルロイドの要塞は放棄することになった。背水の陣である。
 五万もの軍隊は豊かな草原地帯に伸びる街道を進行して行った。そこにオリュンポスを始めミルロイドに幾つかあった飛行艇の姿はない。貴族を始め非戦闘員が乗り込んで、別の場所に避難しているのだ。
 進軍は幾日もようしてやっとソルタニア東部の要にある、グーグリスの要塞が見えてきた。そこは王都と東の国境の中間地点であり、あらゆる方向にある衛星都市へ続く街道の分岐点でもある。
 カインはグーグリスを目の前にして、一夜の休憩を取らせた。強行軍にならないように進軍して来たがやはり疲れはある。疲れていては本来の力ははっきできないのだ。
 攻め込むのは明朝の日の出と共だ。
 密偵によると王都の動きはないらしい。やはりグーグリスでこちらの兵の数を減らし、王都で決着をつける気なのだろうか。それともグーグリスで片がつくとでも思っているのだろうか。
確かにグーグリスの砦は難攻不落の要塞だった。ルーデンハイムとの戦いにおいて、何度も敵軍を退かせている。だがそれは要塞の国境側に、弧を描くようにミュレーデ川があるせいでもあった。幾つか橋がかかっているが、そのおかげで進軍がかなり困難になる。
 しかしカイン達の進む経路に川はない。
 戦場に立たないエルウィンやその重役達は、功績だけ見て特性や状況を把握していないのだろういかとカインは思った。先の大戦では主にカインやギルバルトが活躍していたので、エルウィンは戦場には出ようとしなかったのだ。もしカインやギルバルトがいなければ、先のルーデンハイムとの戦は負けていたかもしれない。
 ともあれカイン率いる連合騎士団は、半円を描く様にグーグリスの砦を取り囲んだ。
 主翼の前方にはカインを始めとするヘカトンケイル部隊が十個大隊配置されていた。
 ヘカトンケイル部隊は、小隊で三機、中隊で九機、そして大隊で二七機で構成されている。よってヘカトンケイル部隊は全軍で五万いる中でたった二百七十機しかいない。その理由はやはりヘカトンケイルがとても高価であり、大量生産にも向かず、それを乗りこなす人材が少ないせいである。しかしその能力は凄まじく、重装歩兵の比ではない。
 そして今回カインは自ら先陣に立った。指揮官たる者は後方で全軍の指揮を取り、先陣に立つ事は愚作でしかない。しかし先陣に立つ事により全軍の士気が向上する事も確かだ。それにカインは一緒に戦う者に不思議と士気を上げる力が備わっていた。カインが視野にいるだけで味方は安心し敵は戦く。そして何よりカインは誰よりも強かった。ヘカトンケイルに乗れば正に一騎当千。更に今回はカインが先頭に立つことにより、カインの存在を知らし、こちらが正当であることを示すためでもある。だからカインは出陣後は指揮をネイルに任せる事にした。
要塞との距離はまだある。だがカインは陣形が整うと、すぐに次の指示を出した。
「魔道士隊。長距離攻撃魔法準備!」
 指揮を取れる内は指揮を取る。
 カインの指示に従い各魔法部隊へ通信兵が連絡を入れる。
 そしてその長距離攻撃魔法の要であるアルも、呪文を唱え始めた。
「あまたに漂う大気の精霊よ。我、祭壇を背に盟約をはたさん。汝、幾千もの光りとなりて、天地を繋がん! ライトニング・レイン!」
 天にかかげるアルの両手の上に、巨大な魔法陣が現れ、青白い光りを発して消えると、グーグリスの要塞の方で目を焼くような閃光が幾重にも重なった。一瞬遅れて耳を劈くような凄まじい轟音が大気を振るわせ、荒れ狂う。
 青空だと言うのに、無数の稲妻の柱が天と地を繋いだのだ。
 グーグリスの要塞には対魔法防御障壁が張り巡らされているが、アルが撃った魔法は桁違いの威力だった。
 図太い稲妻の柱が防御障壁を貫き、塔を破壊し城壁を崩す。その上にあったバリスタなど要塞兵器は粉々だ。
 そして障壁が破壊されたところで、魔道士部隊が水平に長距離攻撃魔法をぶっ放した。
 幾筋もの光りの帯がグーグリスの城壁に伸び、閃光と共に残っていた城壁を破壊した。
「全軍進撃!」
『おおおおお!』
カインが指示を出すと、鬨の声を上げて騎士達が動き出した。魔道士隊は後ろに下がり、後方援護にまわる。
「ヘカトンケイル隊、空から先行! 要塞兵器を破壊する!」
 カインの指示に従いヘカトンケイル隊が宙に浮く。
「ネイル。後は任せたぞ」
「お任せください」
 カインはヘカトンケイルのモニター越しに言い、ネイルは通信用マジックアイテムを通して、宙に浮かんだ四角い画像の中のカインに敬礼した。

 エルウィンの一番の誤算はカインが戻って来た事だった。カインの側にはエスターニアで最も優秀な者が集まっている。その中でもアルベルトの魔法は脅威に値する。このクールベルト地方で彼ほどの魔道士は五人といないだろう。
 アルベルトさえいなければ、いっきに要塞が致命的損害を被ることなく、多少の長距離攻撃魔法も防げたはずだった。そうすれば後は要塞兵器で返り討ちにする事も可能だったのだ。しかし……
 籠城戦を決め込んでいたグーグリス要塞中枢部では、予想外の破壊衝撃にあわてふためいていた。
「えーい! 言った何が起きた!」
 要塞中枢部のバルコニーから全軍に指示を出していたロドウェル将軍は、バルコニーを襲った凄まじい光りに目がくらみ、同じく要塞を任されていた重臣達に怒鳴り散らした。
 そこに被害報告を受けた武将が顔色を真っ青に変えて進み出た。
「無数の稲妻の魔法が要塞を襲い、城壁が破壊されました。要塞兵器の約半分が使用不可能です」
「無数の稲妻……これだけの衝撃……」
 ロドウェル将軍の脳裏に過去の隣国との大戦の記憶がよぎった。
「……アルベルト宮廷魔道士だ。こんな魔法は奴しか使えん……カイン様が戻って来たと言う噂は本当だったのか」
 ロドウェル将軍は思わず背中に悪寒が走った。アルベルトの魔法は味方だった時は頼もしい力だったが、敵に回ったとなっては恐るべき力となる。
「ヘカトンケイル隊を出せ! 敵ヘカトンケイル隊を近寄らせるな! 騎士隊は残った城壁と要塞兵器を利用して体制を取り直せ! 魔道士隊は攻撃魔法で迎撃しろ!」
『はっ!』
 それぞれの武将は敬礼すると、すぐさま持ち場に向かった。
(相手はアルベルト……いや、カイン様)
 ロドウェル将軍は嫌と言うほどカインの力の恐ろしさを知っている。もはやこうなってはロドウェル将軍にできることは一つしかなかった。それは……