Elemental Sword

芹沢明

~第一章~
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「はぁ……はぁ……」
 セルシアは夜の森の中をひたすら走り続けた。と言っても自分の足ではない。大きな何かの金属でできた足が、森の中を駆け抜けていった。
 その全体のシルエットは騎士が着るフルプレートの鎧に見える。だが大きさが普通じゃなかった。三メートル強はある。
 魔道士が見たら小さなアイアンゴーレムか大きいリビングメイルに見えるだろう。
 だがその中にセルシアが搭乗していた。いや、それを着込んでいると言った方が良いかもしれない。
 それの名はヘカトンケイル。またの名を搭乗型多機能ゴーレム。
 ゴーレムとは元々石などで作られた巨人のことで、それを作った人の命令を聞く魔法の生物だ。そのゴーレムに中に搭乗した者と同じ動きをしろと命令を与えたのがヘカトンケイルだ。
 よく見るとヘカトンケイルの胸の脇から小さな腕が二本生えている。その中に搭乗者の腕が入っていて、搭乗者が右腕を上げれば、ヘカトンケイルはそれを真似して右腕を上げる。足の方は人とヘカトンケイルの大きさが違うため、足が間接まで届かない。そのため搭乗者がヘカトンケイルの股辺りで足を曲げれば、ヘカトンケイルの足は二倍の角度で足を曲げるように設定されている。そのためヘカトンケイルは森の中を走っているが、搭乗者は小走りに走っていることになる。
 その搭乗者セルシアは今切羽詰まった状態だった。
 自分はただ目の前の殺戮に耐えきれずに逃げ出しただけだ。しかしそれだけで神殿騎士団は自分を異教徒として捕まえるだろう。
 セルシアは彼らの宗派の勢力圏から抜けだし、敵対する宗派の勢力圏に入ったと思って油断していた。彼らは自分達が敵対する宗派の勢力圏には入るのは危険と判断し、傭兵を雇って自分を捕らえようとしているのだ。
 その目的は自分の特殊な能力と、それを使うことができるこの特殊なヘカトンケイル。
 今までは一聖騎士として研究に参加してきたが、もしここで捕まってしまったらただの実験材料にされてしまう。用が済んだら秘密保持に殺されるだろう。
 それだけは嫌だ。
 それに彼らのしつこさに段々腹が立ってきた。こうなったら絶対に逃げ切ってやる。

「こちらシルフィール。目標は東南に移動」
 カインの見つめるモニターの角に四角い画像が割り込んで来た。そこには黒髪の女性の顔が映し出されている。
 そのモニターはカインの目の前の宙に、人間の視野と同じ角度だけ広がっている。カインが顔を動かせば、それに合わせてモニター自体が動く。映像魔法の最高技術のたまものだ。
「了解。回り込んで挟み撃ちにする」
 カインはそう答えると、体を包み込んでいる大きな物体を動かした。
 そいつはセルシアが乗っている物と同じヘカトンケイル。
 全体が青を基準に所々白に塗られている。いささかその白い部分が夜の森では目立っていた。
 シルフィールが目標を後ろから追いかけて、こちらの方へ誘導している。
 カインはモニターの左下に表示されている魔法探知レーダーを目だけ動かして見た。
 見方識別反応とその前に所属不明反応を示す点が、格子状に線の引かれた円の中を移動している。カインはそれを確認してから、自分のヘカトンケイルをそれらの移動先に向け走らせた。
 目標地点に到着したカインはモニターを暗視モードに切り替える。
 モニターが緑色に染まる。
 しばしの沈黙の後、森の奥から人型の輪郭が向かって来た。

 セルシアはしつこく後ろから追って来るヘカトンケイルを撒こうと必死になっていた。だから前方のカインのヘカトンケイルに気づくのが遅れてしまった。
(しまった。挟み込まれた!)
 セレナは前方の青と白に塗られたヘカトンケイルを迂回しようと、機体を左に向けた。
 その時。
 ドンッ! バンッ!
 凄まじい重低音と乾いた破壊音。
 機体を向けたその前方から光りの筋が飛来し、セルシアのヘカトンケイルの足下に突き刺さって爆発したのだ。伏兵していたカインの仲間の攻撃魔法だった。
「何で! 何で逃がしてくれないのよ!」
 セルシアは叫び、機体を百八十度回転させそちらに向かって走り出そうとしたその瞬間。
 ドドドドッ!
 今度は機体を向けた先から小さな光球が無数に飛来して、セルシアの機体の足を止めた。
「きゃぁぁあああ!」
 その小さな光球はそれ程威力がある物ではなかったが、実戦慣れをしてないセルシアは恐怖した。
 しかしその恐怖がセルシアのたがを外した。
「あああああぁぁぁあああ!」
 セルシアはヘカトンケイルの左の腰に吊した巨大な剣を抜くと、呪文を唱えつつ、近くにいるカインのヘカトンケイルに向かって斬りかかった。
 セルシアのヘカトンケイルの巨剣が白い光りを発する。セルシアが唱えていた呪文は魔法剣だった。
 こいつを倒せば包囲網を抜けられる。逃げ延びることが出来る。
 カインはすでに剣を抜いていて、その剣は蒼く光り輝いている。こちらも剣に魔法剣をかけている。
 セルシアは袈裟斬りにカインに斬りかかった。白き光りが弧を描きカインに迫る。
 ガキィィィイン!
 しかしカインはいとも簡単に剣でその斬撃を受け止める。
 白き光りと蒼き光りが衝突し、二色の閃光が闇夜を照らした。
 セルシアは剣を素早く引くと、今度は横薙に剣を振るった。
 カインはその斬撃を後ろに下がって避け、セルシアが剣を引くと同時に前に出て、袈裟斬りに剣を振り下ろす。
 セルシアは斜め後ろに下がって避け、更に後ろに下がって間合いを開ける。
「私を行かせてぇ! エンジェリック・ファランクス!」
 セルシアが呪文を唱えた瞬間。セルシアのヘカトンケイルの背後から、十二本の光りのが帯が、いったん後ろに放たれ、弧を描いて次々とカインに向けて突き進んだ。
 ドンドンドンドンっドドドドドドドド!
 闇夜の森の中でいくつもの閃光が閃き、一瞬辺りを昼のように照らした。
 しかしその閃光の中から大きな人影が飛び出し、セルシアに向かって一瞬の内に間合いを詰めた。
 セルシアがそれに気づいた時には、カインの剣がセルシアのヘカトンケイルの胸元に突き付けられていた。後一押しするだけで、ヘカトンケイルの装甲は貫かれ、その中にいるセルシアは、剣にかかった高熱の魔法により一瞬にして蒸発されるだろう。
 だめ押しに後ろから、先程から追って来た別のヘカトンケイルが追いつき、後ろから剣を突き付けている。
「搭乗者に告ぐ。おとなしく武装解除しろ。我々の目的はお前の命ではない」
 カインは魔法による外部スピーカーで呼びかけた。
 しばしの沈黙の後、セルシアのヘカトンケイルは剣を捨てて正座するように座り込んだ。
 それと同時にカインは剣を引いた。
 胴体の装甲の分部がゆっくりと持ち上がり、中からセルシアが鎧を脱ぐように出てきた。
 カインはモニターを通常モードに切り替え、肩に付いた光りの魔法装置を発動させ、セルシアとヘカトンケイルを照らした。
 セルシアのヘカトンケイルは白い色をしていた。さながら純白の騎士と言ったところだ。
 そしてセルシアは……美しかった。
 清楚で綺麗に調ったその顔に、カインは一瞬見とれた。
 白く澄んだ肌。宝石の様な碧眼。きらめく長い金髪は、今クリーム色のヘカトンケイル用のボディースーツの中にしまい込んでいる。
 夜の森の中で魔法の光りに照らされ、淡く幻想的にセルシアの姿が浮かび上がる。
 だがその顔は絶望と不安が支配していて、普段の魅力を半減していた。
「お願い……私を助けて!」
 セルシアは藁にすがる思いで何とか叫んだ。
「話しは我々の船に着いたら聞いてやる。それまでおとなしくしていろ」
 それを聞いてセルシアは少しだけ安堵した。だが依然自体は最悪な方へ向いたままだ。それでも一握の希望にすがり、自分を投げ出すことだけはしなかった。

「お疲れさまです。カイン様」
 カインがブリッジに入るなり、待ちかねていたとばかりに副艦長のネイルが声を掛けてきた。
 ネイルは壮年の男で体もでかく、鎧でも着ていたらどこかに国の騎士団長にでも見えるくらいだ。
 対してカインの年齢は二一歳。体格は中肉中背で金髪碧眼。どことなく気品があり、雰囲気からして貴族のように見えるが、貴族がこんな所にいるわけがない。
 ここは傭兵団の船のブリッジなのだ。
 船と言っても海の上に浮かぶ船ではない。青い空を旅する飛行艇だ。
 飛行艇は魔法技術の真髄を惜しげもなく注ぎ込んで作った傑作だ。カインの船の姿は大空を風に乗って飛ぶ鷹のような形をしている。
「作戦は成功だ。依頼主に仕事が片づいたと報告しとけ。進路はブツの受け渡し場所ヘルガムの町の北の丘だ」
「了解。進路零八ー四四ヘルガムの町の北の丘に向かいます」
 カインが指示を出すと操舵手のギニアスが復唱し、この飛行艇――オリュンポスを目的地に向けて発進させた。
 森のすぐ脇に停泊していたオリュンポスが、空という名の海へ飛び立とうと呻りを上げる。凄まじい風の精霊力がオリュンポスを取り巻き、その大きな機体を徐々に持ち上げていった。
 やがて木々が眼下へ見え、雲が近くなり、その上へと出る。雲海が下に広がり、空には雲で隠されていた星星と満月が大きく見える。
「それじゃあ俺はお嬢さんの様子でも見てくるかな。ちょっと気になることがあってね」
 カインはそう言うとブリッジの出入り口へ向かった。
「気を付けて下さい。何かあるといけませんから」
 その後ろにネイルが声をかける。
「大丈夫だって。一応ディアスとシルフィールを連れて行くから」
 そう言ってカインはドアの向こうへ消えていった。
 そしてカインはディアスとシルフィールを連れて、セルシアを監禁している部屋前まで来た。
 カインは部屋の中の気配を探る。気配は部屋の奥でじっと動かない。
「開けていいぞ」
 カインがそう言うとディアスが鍵を外す。
 部屋の中は普通の作りだった。ドアも窓も開けられないと言う以外は普通の部屋だ。
それに元々この飛行艇には監禁部屋などないのだから。
 ただベットの上に腰掛けてるセルシアの両手足には、手錠がはめられている。
 ドアが開くのを感じてセルシアは顔を上げた。
 中に入って来たのはもちろんカインだった。その後ろにディアスとシルフィールが付き添う。まるで主君に従う騎士のようだ。
 ディアスは中肉中背で黒髪に黒瞳。綺麗に調った顔は思わず嫉妬しそうなくらいだ。腰に吊した剣からして剣士だとわかる。
 シルフィールの方は長く艶のある黒髪をストレートに後ろに流し、黒い瞳がセレナを油断なく見つめている。手にはいつでも剣を抜けるように剣の柄に伸びている。その姿は凛々しく、さぞかし男性だけでなく女性にももてそうな感じがした。
「キミはスパイではないな」
 セルシアが黙っていると、カインが突然切り出した。
「へぇっ? スパイ? 私が?」
 セルシアは思いも寄らぬ事を言われて妙な声を上げた。
「我々の仕事は、ヘカトンケイルの試作機を奪って逃げた、ローレンツ教モーメル派のスパイの捕獲と試作機の奪還だが……どうにもキミがスパイに見えなくてね。スパイにしては行動も身のこなしもなってない。不自然すぎる」
「当たり前よ。私はローレンツ教トルク派の聖騎士よ……多分……元が付くけど……それにあのヘカトンケイルは試作機じゃないわ」
「それが本当なら彼らは契約違反をしたな。話して見ろ。ひょっとしたら気が変わるかもしれないぞ」
 この時カインは軽いつもりで言っていたが、それを聞いたセルシアの顔が明るくなった。
「おっと。勘違いするなよ。話しを聞いても気が変わらなければ、キミを彼らに引き渡すんだからな」
「わかってます」
 セレナはうつむいて話し出した。
「私はある人に憧れて……騎士になりたくて……ローレンツ教の神殿騎士団に入ったの。あの頃は騎士になることが夢だった。別にどこでも良かった。ローレンツ教を選んだのはたんに王都に近かったから。後は聖騎士って称号かな。だから別に熱心な信者でもなかったわ。でもなかなか騎士見習いから昇格出来なくて。それでその頃まで隠していた力を使ったの」
 それを聞いたカインの表情が微かに動いた。
「白魔法でも黒魔法でもない力……」
「そいつは物を手で触れずに、自分の意志で動かしたりする事か?」
 突然カインが話しに割り込んできた。
「そっ、そうよ。何でわかったの?」
 セルシアは顔を上げて尋ね返した。
「それは後で話そう。それで?」
 再びセルシアはうつむいて話しを続けた。怖くてカインの顔をまともに見れなかった。
「……それで、私はあっさりと神殿騎士になれたわ。しかもローレンツ教が進めていた研究に参加したら、聖騎士にしてくれるって……」
「それでキミはその研究に参加したのか?」
 カインは少し険しい表情になって尋ねた。
「参加したわ。聖騎士になれば憧れのあの人に近づけると思ったから……」
「そいつはどんな研究だ?」
 カインはその研究がどんな物かは薄々気が付いたが、確認のために尋ねた。
「私のような者を人工的に作り出し、それをヘカトンケイルに応用することよ」
「……そうか」
 カインの顔がますます険しくなる。
「大きな装置の下で、頭に変な物を被されたり、実験用のヘカトンケイルに乗ったり、そこまでは別に良かったわ。でも……」
 そこでいったんセルシアは口を結んだ。
「でもあれには耐えられない!」
 セルシアはいきなり感情的になって叫んだ。
「ローレンツ教がトルク派とモーメル派に別れてから全てがおかしくなったわ! 元は同じローレンツ教なのに、何で争わなければいけないの! ただ単に上の連中が権力を自分の物にしたいだけじゃないの!」
「……」
「私の初陣は異宗派狩りだったわ。私はヘカトンケイルに乗って威嚇するだけの簡単な任務だった。でも私の目の前で、罪の無い人々が捕まって殺されていったわ。わ……私の目の前で……こ、子供が火焙りに……」
 そこでセルシアは耳を塞いでぶるぶると震えだした。まるで子供の鳴き叫ぶ声が聞こえているかの様だ。
「罪もない人々を……ただ宗派が違うだけで殺すなんてただの人殺しよ! 邪教の生け贄と一緒だわ!」
 セルシアは涙を流し、そのヒステリックな声が部屋に響いた。
「私は耐えられなくなって、目に留まった子供を抱えて逃げ出したわ。もう殺されるのを見るのは嫌だった。目に留まった子供だけでも助けたかった。でも……でも……助けられなかった! ほ……炎の攻撃魔法で、わ……私ごと子供を……私はヘカトンケイルがあったから……でもその子供は……その子供はぁぁあああ!」
「もういい!」
 カインは叫んでセルシアの言葉を遮った。
 セルシアはビクンとして我に返る。
「……彼らが欲しいのは私の力とあのヘカトンケイルだわ……お願い私を助けて! 今あそこに戻されたら、私はさんざん実験台にされてから殺されるわ! そんなの……そんなの嫌ぁぁああ!」
 セルシアは言うだけ言うと、震える肩を抱いて泣き出した。
「……わかった。キミを信じよう。彼らとの契約は破棄だ。彼らはどうやら嘘を付いたようだ。破棄されて当然だな。ディアス。彼女の戒めを解いてやれ」
「途中から多分こうなると思ってたよ」
 そう言ってディアスはセルシアの手錠の鍵を外してやった。
「あ、ありがとうございます」
 セルシアは一瞬ぽかんとして、ハッと気づき顔を明るくして頭を下げた。こうもあっさりと信じてくれるとは思わなかった。願った事なのだが意外だった。
 カインの方はセルシアのスパイらしかなぬ身のこなしや、演技とも思えない先程の話しからして、彼女は嘘は言ってないと確信しての発言だった。それとまだまだ甘かった。
「私、セルシア・エレ・ラルクハート……いえ、セルシア・ラルクハートってい言います。あなたのお名前は……」
 ここで初めてセルシアはカインの顔をまともに見た。
「俺の名はカインだ。よろしくな」
 その瞬間セルシアに電撃が走った。不安と緊張がやっと解け、思考に余裕が戻り思い出したのだ。セルシアはカインと見たことがあった。それを忘れるはずもない。
「あ……あのひょっとして……カイン・ソル・デ・エスターニア様では……」
 セルシアの声がかすれる。
 そのとたんカインはしまったと言う顔になる。まさか自分の顔を知っているとは思ってもみなかった。
「……そうだ」
 しばし思案してからカインは以外にも肯定した。どうせセルシアはどこか遠くで降ろすつもりだ。別に隠したところで何も変わらないし、害はないはずだ。
 カイン・ソル・デ・エスターニア。エスターニア王家の三男坊。彼は王宮内だけでなく、エスターニアの国民の間でも絶大な人気がある英雄だった。
 セルシアは過去にカインを見たことがあった。隣国との終戦後、勝利の祭典でカインがお城のバルコニーで演説したときは、運良く中庭の最前列でその顔を見ることが出来た。
 セルシアは憧れの英雄のその姿を目に焼き付けていた。
 だがその半年後カインは宮廷内での権力争いに嫌気が差し、一部の者を引き連れて姿を消してしまった。
 人々は悲しんだ。セルシアもその内の一人だ。
 セルシアはまるで恋人が自分から去っていくような感じがした。そう、その時セルシアはその英雄に恋い焦がれていた。
「私ずっとカイン様に憧れていたんです。騎士になりたかったのも、騎士になれば少しでもカイン様に近づける気がしたから……もちろん物理的には無理だから精神的にですけど……どうなされたのですか?」
 カインはそっぽを向いて頬をポリポリとかいている。
「照れてるんですよ」
 ディアスがクスクスと笑い顔で解説する。
「セルシアさん。キミを安全な所まで連れていってあげよう」
 カインが改めてセルシアの方を向いて言った。
「ありがとうございます」
「でもいきなり丁寧な口調になるのはやめてくれないか。もう俺は王位継承権を捨てた身だ。敬称を付けて呼ぶことは絶対にするな。それがここでのルールだ。それと俺を王子なんて呼んだらトルク派に引き渡すからな。いいな」
「えっ……あっ……はい」
 セルシアは突然きつく言われて動揺した。
「俺はブリッジに行く。シルフィール。後は頼んだぞ」
「はい」
 カインはきびすを返してドアへ向かった。
「俺は何か飲み物を持ってくるよ。のどが渇いてるだろ」
 そう言ってディアスも部屋を出ていった。
「あなたは運がいいな」
 シルフィールは近くの椅子を引き寄せてそれに腰掛けて言った。
「えっ」
「あなたはローレンツ教の方針についていけなくて逃げてきたのだろう。カインは宮廷の権力争いが嫌になってここにいる。きっとあなたに自分を重ねているのだろう」
「そうなんですか……そうですよね」
「あなたは多分ローレンツ教の勢力圏外まで運ばれるだろう。それまではこの部屋を使ってもらう。別に窮屈じゃないだろう」
「はい」
「着替えは私のをかしてやる。いつまでもそのボディースーツじゃ恥ずかしいだろ」
「ありがとうございます」
 セルシアはぺこりと頭を下げる。
「それから飛行艇内は自由に歩いていいぞ。部屋にこもりきりじゃ体に悪いし、別に隠す物なんてないからな」
「はい。ありがとうごさいます」
「それとあのヘカトンケイルだが、こちらで引き取る事になるだろう。助けるための当然の報酬だと思ってくれ」
「わかりました。私が持っていても目立つだけですし、もう必要のない物です」
「そうだろうな。だが引き取ると言ってもカインのことだ、多分買い取る形になるだろう。これからは先立つ物が必要となるだろうからな」
「あ……ありがとうございます」
 セルシアは頭を深く下げて言った。
 何なのだろうこの人達は。見ず知らずの自分に何でこうまで親切にしてくれるのだろうか? やはり私をカインに重ねているいからなのだろうか? それとも王侯貴族としての民に対する義務感なのだろうか?
 セルシアは今までこんなに暖かくしてもらった事なんてなかった。四年前までは戦争が起きていたので、みんな自分が生きることで精一杯だったのだ。戦後に入ったローレンツ教でも、色々と苦労し余裕がなかった。嬉しくて思わず涙が出そうになるが、セルシアはそれを堪えた。
「何か質問はあるか?」
「あの、一つだけ……」
「何だ」
「あの、どうしてカイン様……カインさんには敬称を付けちゃいけないんですか?」
 セルシアは納得いかなく尋ねた。王族には敬意を払う。当たり前の事だった。
「それはカインが寂しがりやだからさ」
 そう答えたのはシルフィールでなく、以外に早く飲み物を持って来たディアスだった。
 厨房はすぐ近くだったのだ。
 ディアスはセルシアとシルフィールに果実水の入ったグラスを渡すと、自分も椅子に座って一口果実水をすする。
「カインは子供の頃から本当の友達って奴がいなかったのさ。それはそうだろうな。何て言ったって王族の者だからな。周りはご機嫌取りばかりでほとんど友達と呼べる者はいなかった。俺やシルフィールは丁度同い年だったから、子供の頃からカインの御学友として一緒に勉強や剣の稽古をしてきた。あの頃は子供だったから多少の無礼は大人達は黙っていた。だけど成長して世の中の事がわかって、礼儀をわきまえるようになったら……カインの奴凄く寂しそうな顔したっけ。それでそのまま専属近衛騎士になって、戦場でもすぐ隣で剣を振るって来た。そして一緒に王宮から逃げ出した時、カインは俺に何て言ったと思う?」
「……さあ」
 セルシアは見当も付かず首を傾げる。
「やっと対等になれたな親友って。俺なんかに勿体ない言葉だと思わないか。その時俺嬉しくて泣きそうになったよ。だから俺もカインの本当の親友になるために、絶対に敬称は付けない事にしているのさ。シルフィールだってそうさ」
 シルフィールもうんうんと頷く。
「そうだったんですか……」
 セルシアは考えた事もないことを聞かされて、何て言ったらいいかわからず、とりあえず相打ちを打っておいた。
「ちなみにシルフィールが男口調なのはカインの影響なんだ」
「余計なことは言うな」
 シルフィールは少し赤くなってディアスにきつく言った。
 ディアスは軽く笑って流して話しを続ける。
「カインは王宮を逃げ出した後、みんなにももう敬称は付けるなって言ったけど、みんな当惑しちゃって、だから未だに『様』を付けてる奴が大半だけどな。カインはルールだって言ってたけど、別に気にしなくていいよ。でもなるべくなら普通に接しやってくれ。でも王子って呼んだら凄く機嫌悪くなるから絶対するなよ」
「わかりました」
 セルシアはそんなカインが少し可愛く思えて笑みを浮かべた。
「それにしてもいきなりあんたがカインの正体見破った時はびっくりしたなぁ」
「そ……それは憧れてましたから、あの日に見たお顔は忘れようがなかったから……」
 セルシアは顔を赤くして言った。まるで好きな人の名前が友達にばれてしまったかのような気分だった。
「だってよ。聞いたかシルフィール。こいつは大敵かもよ」
 ディアスはニヤニヤ笑いながらシルフィールに言った。
「なっ、なんでそこで私に振る」
 シルフィールは少し赤くなって言った。
「なに今更隠してんだよ。周知の事実だろ」
「……」
 シルフィールは言い返せなくて、更に赤くなってうつむいた。
「シルフィールよ。私の妃になれ。王女にしてやるぞ」
 ディアスはいきなり子供口調になって言った。もちろん子供の頃のカインの真似である。
「ディッ、ディアス! なっ、なぜそのセリフを知っている!」
 シルフィールはとうとう顔をトマトのように真っ赤にして怒鳴った。
「あははははははっ! それは秘密だな。うぷぷぷぷぷっ。考えて見ればカインって子供の頃の方が偉そうだな。だけど初恋は実らないっての言うからな。諦めろ」
「だっ、黙れディアス! 客人の前だぞ!」
 シルフィールの手が剣の柄に伸び、鞘走りの音がする。
「わー待て待てそれこそ客人の前だぞ」
 慌ててディアスが降参とばかりに手を上げて言った。
 セルシアは唖然となって二人のやり取り見ていた。カインとの関係からすると、この二人は貴族出身のはずだが、何だがそうには見えない。
 貴族だったらもっと偉そうで、平民なんか見下しているのではなかったのか。
 これもカインの影響なのだろうか。
 そしてセルシアは嫉妬した顔でシルフィールを見た。
(悔しいけど凄く綺麗な人だなぁ。この人は私よりずっとカインさんの近くにいるんだなぁ。それに比べて私なんか……)
「今の事は気にするな。しょせんは子供の頃の話しだ。今はどう思われてるかわからん……」
 しょぼんとしているセルシアを見たシルフィールは、ふと苦笑いをして言った。そして再びディアスを睨め付ける。
 カインに憧れてる女性の前であんな話題を振ったのだ。ディアスもそれに気づいて気まずそうな顔をした。
「すまないな」
 ディアスがセルシアに謝った。
「いえ。謝られるような事はないです」
「そうだ。先程言っていたセルシアさんの力と言うのを見せてくれないか。少し気になってな。別に無理にとは言わないが」
 シルフィールが話題を変えるようにして言った。
「いいですよ」
 そう言ってセルシアはベットの端に置かれた枕に向かって手を伸ばした。
 セルシアはそれに向かって意識を集中させると、ふわりと枕が宙に浮く。
 セルシアが使ったのは物を自分の意志だけで動かすことの出来る、サイコキネシスと呼ばれる力だった。特殊な能力だが万能ではない。あまり重い物は動かせないし、複雑な物だってそれを熟知してないと動かせない。例えば鍵だ。中の構造を知らないとどう動かせばいいかわからないのだ。
「なるほど。凄いな」
 意外にもシルフィールの反応はあっさりしていた。
 得意げな顔で枕を浮かしていたセルシアの顔がちょっと不満げになる。もう少し驚いてくれてもいいのに。
「初めて見るわけじゃないからな」
 不満げな顔をしているセルシアに気づいて、シルフィールがそう言った。
「えっ!」
 それを聴いたセルシアは宙に浮いたままの枕を落とした。
「カインもその力を持ってるんだよ」
 ディアスが説明するかのように言った。
「ええっ!」
 驚くのはセルシアの方だった。
「知ってるのはこの飛行艇内でもごく一部だけどな。その力もカインの興味を引いたんだろうな」
「……そうなんですか」
 セルシアは意外な所でこの力に助けられたのを知った。この力がある故にローレンツ教から狙われているが、この力があるために結果的にカインと出会え、助けられたのだ。
 今セルシアは初めてこの力を好きになれそうな感じがした。
「それじゃあ何かあったら俺達言ってくれ。出来る限りの事はしてあげるよ」
「ありがとうございます。私なんかのために……」
「おっと。気にすんなよ。カインじゃないけど俺達だって貴族を捨てた身だ。もはや平民と変わらんよ。俺としても普通に接してくれれば嬉しいな」
 そう言ってディアスは部屋を出て行った。その後にシルフィールが続く。
「ふう……」
 セルシアはため息を付いてベットに背中を預けた。
 とその時。
 ゴンッ!
「ぐあぁぁあああ!」
 ビクリとしてセルシアが飛び起きる。
 それは何か固い物がディアスの頭を叩く音と、ディアスの叫び声だった。
 セルシアはクスクスと笑うと、急に眠気が襲ってきた。
 そう言えば今はもう夜で、少し前まで走りっきりで疲れていたのだ。
 セルシアは睡魔に襲われるままに眠りについた。

「進路を変更。ローレンツ教トルク派の勢力圏内から脱出する」
 ブリッジに着くなりカインは操舵主など各オペレーターに言った。すでにモーメル派の勢力圏から抜け出し、トルク派の勢力圏に入っていたのだ。
「カイン様それはいったいどういうことですか?」
 ネイルはいきなりのカインの言葉に眉をひそめた。
「トルク派の連中は嘘を付いた。だから契約を破棄するだけだ」
 カインはセルシアとの会話から、重要な事だけをブリッジ全体に聞こえるように説明した。各員それに耳を傾ける。これを聴いているのといないのとでは士気に影響する。
「奴らにセルシアを渡すわけにはいかんだろ。最近のローレンツ教はあまりいい噂を聴かないしな。あまり力を持たせると、国にも影響がでるだろう。場合によっては一波乱あるかもな」
 カインは深刻そうな顔をして言った。
 ネイルはそれを見てふと笑みをこぼした。
 王宮を捨てても民を思う気持ちは変わりがないのを、改めて確認したからだ。
「それにしても余程あのお嬢さんが気に入ったようですね。春が来ましたか? だとするとシルフィールがかわいそうですね」
 ネイルはニヤリと笑って言う。
「べっ、別にそう言うわけじゃないさ。まあ、確かに気になる所もあるが、春が来るとそう言うのじゃなく。もっと別な物だ。彼女は絶対にトルク派に渡すわけにはいかない」
「そうですな」
 ネイルもあの力の事を知っているのだ。
「それに最近だいぶ稼いだ事だし、たまにはいいだろ。こういう人助けも」
 本来ならそっちの方が本業みたいなものだ。ここにいるのは元宮廷に使えていた者ばかり、困っている民を助けるのは貴族や騎士の勤めでもある。
「とりあえず進路変更後の目的地は西北の衛星都市ゴルラータだ。あそこはソフィ教の力が強いからな」
 この世界では一般的に多神教が信仰されていた。創世記神話にでてくる様々な神々を、様々な宗教が信仰していた。そこにはお互いの信仰を認め合い、いざこざなどほとんどなかった。逆に同じ宗教内での別れた宗派同士の内部抗争の方が問題だった。
「了解。進路をゴルラータに取ります」
 操舵主のギニアスが復唱して進路を変える。
「トルク派には何て言いますか?」
 通信士のアデルが振り向いてカインに尋ねた。もうトルク派にはセルシアとヘカトンケイルの捕獲に成功したと連絡を入れてあるのだった。
「……そうだな。、、、、、何か妙な力を使われて逃げ出したと伝えてくれ。それとオリュンポスは
逃げ出したセルシアの捜索に当たる。十日以内に見つけられなかったら依頼は破棄するとも伝えてくれ」
「わかりました」
 そう言って通信士は目の前の通信用魔法装置に向かって呪文を唱えた。
 そしてしばらくすると、通信士の目の前に四角い画像が宙に浮いて現れる。
 その装置はどんなに離れていても、音と映像を伝えることが出来る優れ物だ。装置自体は非常に小さくて、腕輪にも付けるくらい大きさだ。普通は魔法の腕輪として魔道士達を中心に普及していて、カイン達もみんな身に着けている。
「カイン様」
 ローレンツ教トルク派と通信を取っていたアデルがカインを呼んだ。
「どうした」
「ローレンツ教トルク派が今回働いた分の依頼料を払いたいから、行き先を逐一教えろとのことです」
「……臭いな。いらんいらん。依頼料は後で一括して払えと言っとけ。どうせ貰う気はないけどな」
「わかりました」
「各員周囲探査機から目を離すな。カレン。ゴルラータまではどれくらいかかる?」
「普通に飛ばせば三日で着きます」
 女性オペレーターのカレンが応える。
「そうか。みんなそれまで気を抜くな」
『はい』
 みんな声を揃えて返事をした。
「ゴルラータに着いたらしばらくそこで羽根を休める。毎日宴会だ」
 カインがニィと笑って宣言する。
『おおー!』
 それを聴いてみんな歓喜の声を上げた。
 それを聞くとカインはブリッジから出ていこうときびすを返した。
「カイン様どちらへ」
「今週の週番は俺なんだ」
「……はぁぁぁぁあああ」
 ネイルは沈痛な顔つきになり、思いっきりため息を付いた。もちろんわざとである。
「カイン様少しはご自愛下さい」
「むっ、ネイルお前まだそんなこと言ってるのか。俺はもう王位継承権は捨てたんだ。もう三年半も経つんだぞ」
「それはわかってるつもりなんですがね」
「だったら文句を言わない」
 そう言ってカインはブリッジを後にした。

「トイレはこの通路の突き当たりを右に曲がったら見える」
 目が覚めたセルシアにトイレの場所を聞かれたシルフィールは、丁寧に教えてあげた。
「ありがとうございます」
「そうだ。お腹減ってないか。残り物でよかったら部屋に持っていってやろう」
 シルフィールはふと気づいて気を効かせた。
「うっ、そう言えば今日は何も食べてないです。お願いします」
 ローレンツ教から逃げ続ける間、セルシアは飲まず食わずだった。
 少し体を休め緊張も解け、空腹なのを思い出すと急激にお腹が空いてきた。
「今日は私が夕飯を作ったんだ。味は安心していいぞ」
「ありがとうございます。楽しみにしてますね」
 カインが王宮を出た時、一緒に連れて来たのは信頼できる近衛騎士と宮廷魔道士。それとこの飛行艇オリュンポスの専属オペレーターと技術屋だけだ。それもカインは声をかけただけで、一緒に来るかどうかは彼らの意志にまかせた。したがって今いるのはカインを慕って自分の意志でここにいる者ばかりだ。
 よって使用人などは連れて来ていない。コックもだ。だから雑用や料理などは当番制で行われていた。
 セルシアが用をたしにトイレに来ると、ドアに清掃中と書いた紙が張ってあった。
 セルシアはとりあえずそれを無視して中を覗き込むと、耐水性の前掛けに、手袋、長靴を身に付け、デッキブラシでゴシゴシとトイレの床を擦っている、清掃用完全装備のカインの姿を見て唖然とした。
 どこに国に飛行艇のトイレ掃除をする王子がいると言うのだ。
「あっセルシアさん。今は清掃中だ。隣の男用に行ってくれ」
「……何してるんですか?」
 思わずセルシアは中に入って尋ねた。
「何って……トイレ掃除だけど。剣の稽古にでも見えた?」
「……そうじゃなくて何でカインさんがトイレ掃除なんかしてるんです?」
「週番だからな。いやーまいったまいった。宮廷出るとき使用人連れてくるの忘れちゃってさ。でもまあ普通宮廷出てまで使用人はいらないか」
 そう言ってカインは笑い出す。
「そうじゃなくて、何でカインさん自らトイレ掃除なんかしてるんですか?」
 そう言うセレナはどこか攻めるように言った。苛立って怒ってる感じもする。
「ここではみんな対等なんだ。だから俺も週番に参加する。何か間違ってるか?」
カインはセルシアの苛立ちを感じて疑問に思った。
「……いえ。そうですか……」
 セルシアは諦めたように肩を落とした。何か凄く落ち込んだようだ。
「さあ出てった出てった。隣に行ってくれ」
「隣って……デリカシーのない人ね。そんな事出来るはずないじゃない!」
 恥ずかしくなって思わずそう言ったが、セルシアはハッとタメ口を聞いた事に緊張した。
 だがカインは気にした風はなく困った顔をした。
「すまなかったな。俺は外で待ってるから」
 そう言ってカインはデッキブラシを近くの壁に立て掛けて、トイレを出て行った。
「あの……」
 セルシアは手を伸ばして何を言いかけたが、カインがトイレを出て行く方が早かった。
 セルシアは後悔した。カインを怒らせてしまったのではないのか。嫌われてしまったのではないか。そんなこんなで出る物も出るわけなかった。
 仕方なくセルシアがトイレを出ると、カインがにっこり笑って出迎えた。
「以外と早かったな」
セルシアそんなカインを黙って見ると、ため息を付いて返事もせずに、トボトボと自分の部屋に向かった。
「?」
 カインは眉をひそめたがあることに思い至った。
(……あの日か)
 全然的外れだったが、さすがにそれを声に出して言わなかっただけましだった。
 少なくともカインは怒っても嫌ってもいないようだ。セルシアはホッとしたがかなり落ち込んでいた。
 廊下でディアスとすれ違ったが、セルシアは全然気が付かなかった。
 すれ違う瞬間ディアスは、セルシアが何かを呟いているの聞いた。それは……
「……イメージが……白馬の王子様のイメージが……ああぁぁあ」
 ディアスが前方を見ると、清掃用完全装備をしたカインが女性用トイレに入って行く所だった。
 それを見たディアスは不謹慎にも大爆笑した。

 セルシアは自分にあてがわれた部屋に入ると、ベットに身を投げ出した。
「はぁ……」
 ため息を付いて目を閉じる。
 憧れの王子様を思い浮かべるが、なぜか浮かんでくるのは清掃用具を身に付けた姿だった。セルシアは頭を振って何とか三年半前に見た姿を思い浮かべようと努力するが、頭は反抗するかのように、清掃用具を着けたカインを浮かべ続けた。
(ううっ、何であんな格好であんなことしてるのよぉ。信じらんない……)
 理想と現実のギャップにセルシアは苦しんだ。今まで憧れてたカインのイメージが、全て崩れ去ろうとしている。ここ数年の間に多少美化されてる所もあるだろう。しかしあの姿は衝撃的だった。
(あの人本当に王子様なのかなぁ。私の見間違えかなぁ? それで面白がってだましてるのかしら……でも……)
 シルフィールやディアスの話しはとっさにしてはでき過ぎてる。それにカイン達の意識せずともにじみ出てくる気品は、平民が出せる物ではない。
 本物だったらこれはチャンスなのだ。本当だったら自分のような平民は近づく事すらできない。遠くから見つめることしかできないのだ。しかしカインは身分を捨て、手の届く所まで降りてきている。こんな事は普通有り得る事ではない。
 乙女的身勝手な発想で言うなら運命の出会いだ。そう思ったセルシアは突如妄想に取り付かれ、あっちの世界に飛んだ。その時コンコンコンと何かの音がしたが、もはやセルシアの耳には届かなかった。
『セルシア……初めてキミを見た時から気になっていたんだ』
 きらめく空間の中、カインがセルシアの肩に手を置いて甘い言葉を紡ぎ出す。
『カイン様』
『様は付けるなって言ったろ。俺はキミが……セルシアが好きだ。どこへも行かせたくない』
『ああ、カイン……私もずっと前からお慕いしてました』
 抱き合う二人。そして徐々に近づいて行く唇。
「きゃーきゃーもー恥ずかしー」
 セルシアは自分で妄想してて恥ずかしくなって、足をジタバタさせて身をくねった。
 コンコンコンッ。
 またどこかで何かの音がする。
 そして二つの影が一つになり、もつれ合うように倒れ込む。
『セルシア。愛してるよ』
『カイン。私も』
 そして……
「きゃーもー駄目だってばぁ」
 またもや足をバタバタさせ、ベットの上で転げ回るセルシア。
「何が駄目なんだ」
 その声にビクンッとしてセルシアは飛び上がった。
「な……あ……ど……」
 セルシアは顔を真っ赤にして狼狽えた。
「なあど?」
カインは意味不明な言葉に首を傾げた。
「どうしていきなり部屋に入って来るんですか! ノックくらいしてください」
「何度もノックはしたんだが、返事がなくて……もう寝たかと思ったら『きゃー』って悲鳴がしたから……何かあったと思い、失礼だと知りつつも中に入ってしまった。すまない」
 そう言ってカインは頭を下げた。
「うっ」
 そうセルシアは完全に妄想にふけっていたから、ノックに気が付かなかったのだ。それにしても王族の者が平民に頭を下げたのだ。セルシアは信じられないモノを見た気分だった。
「それで何のようですか」
 しかしあんな妄想にふけってたセルシアはまともにカインの顔が見れなく、布団をかぶってその中で身を丸くした。
 だがそれを見たカインは、顔も見たくない程怒ってると勘違いした。
「……あの後気になって……ひょっとして俺、やっぱり嫌われちゃったかなぁ……あの時も今もちょっとデリカシーなかったよなぁ」
 カインは少し寂しそうになって、所在なげな指で頬をかいた。実はあの後トイレでディアスにセルシアが落ち込んでると聞かされ、飛んで来たのだ。
「そっ、そんなことありません!」
 セルシアは意外な言葉に跳ね起きて叫んだ。
 その激しい反応にカインはビックリしたが、それを聞いて笑みを浮かべた。
「よかった。嫌われるのは苦手でね。それで宮廷を逃げ出しようなものだ」
 カインは屈託のない笑みを浮かべた。
「少し話しをしていいかな」
「ええ、どうぞ」
 セルシアはそのままベットの端に座り、カインは近くにあった椅子に腰掛けた。
 その間セルシアはドキドキしっぱなしだった。まさか妄想が現実に……
「セルシアの特別な力の事だが……」
 なるはずなかった。当たり前である。
「はぁ……」
 それでもセルシアはがっかりしてため息を付いた。
「どうした?」
「いっいえ……何でもないです。私の力の事ですね」
「そうだ」
「あの、ディアスさんから聞きました。カインさんも同じ力があるのですね」
 セルシアは同じ共感を感じて笑みを浮かべた。
「ディアスの奴ぺらぺらと……」
 しかしカインは少し眉をひそめて呟いた。
「別に隠すつもりはなかったんだ。現に今それを言いに来たのさ。同じ力を持つ同士気になるだろ」
 カインの何気なく言った『気になる』に過剰反応したセルシアは、またもや赤くなってそれを隠そうとうつむいた。
「別に嫌なら話さなくてもいい。あまり良い力でもないからな」
 それを拒否反応と勘違いしたカインは、すまなそうな顔をして言った。
「いえ、そうじゃないです。確かに忌まわしい力ですけど。今はそうは思ってません」
(あなたと会えたきっかけを作ってくれたから……)
「私はこの力に気づいた時は子供の頃でした」
 セルシアは少しうつむいて話し出した。
「子供の頃は他人にはできない、自分にしかできない力に優越感を感じ、みんなの前で見せびらかしてました……馬鹿ですよね。そんな異端な力はみんなの反感を買うだけなのに。案の定私はいじめられました。仲間外れにされ寂しかった……それからはなるべくこの力を使わないようにしてきました……ローレンツ教に入るまでは」
「……」
 カインは黙ってセルシアの話しを聞いていた。
「ローレンツ教で実験に参加してから、私の力は飛躍的に伸びました。物を動かす力、なんとなくわかる程度のほんの少し先を読む力、思考速度の向上など……何か戦闘に関する事ばかりですね」
 セルシアはどことなく乾いた笑いを浮かべた。
『こんな力はないのかい』
「えっ!」
 セルシアの頭の中に、直接カインの声が響いた。
「カインさん。今何を……」
 セルシアはビックリしてカインに尋ねた。
『テレパシー』
「テレパシー?」
『そう。声に出さなくても直接頭に語りかける力さ。送信と受信しかできない。相手の頭の中までは覗けないが便利だろ。もっとも相手の頭の中なんか覗きたいとも思わないがな』
 それを聞いてセルシアは安心した。もし今自分の頭を覗かれた大変である。
「私にもできるかなぁ」
 セルシアは少し期待するかのように言った。
『できるさ。受信できたんだ。送信だってできるさ。俺に向かって念じてごらん。物を動かすんじゃなくて思いを動かすんだ。キミにならきっとできる』
「はい。やってみます」
 そう言ってセルシアは目をつむって、ひたすら目の前にいるカインに向かって意識を放った。
(カインさん、カインさん、カインさん、カインさん……)
 受信した時を同じ感覚を思い浮かべ、ひたすら念じる。
(カインさん、カイン……ッ)
 突如セルシアを襲う不思議な感覚。
『カインさん』
『ようこそ悠久なる意識の世界へ』
 カインとセルシアは目を合わせクスリと笑った。
 まるで声を出して喋ってる感覚で意識を語り合う。自分が伝えようとハッキリ思った事だけが相手まで届き、音なき声となって言葉を紡ぐ。
 二人は今同じ力を持った同士の共有感を感じていた。
『不思議な感じ……それでいて不快感はない……』
『凄いだろ』
『凄いです。でもどうやってこんな力を知ったんですか?』
『俺達と同じ力を持った人がいたんだよ。俺の師匠だ』
『ええっ! ……結構いるんですね。この力を持った人って』
 セルシアは驚いて目を開いた。
『それはどうかな。俺が知っているのは、まず俺、師匠、そしてキミだけだ』
『そうなんですか……あっそうだ。カインさんって他に何ができるんですか? 私だけ教えるのはずるいですよ』
『ははは。そう言えば言ってなかったな。俺が出来るのはこのテレパシーと物を動かすサイコキネシス。それとなんとなく少し先を読む簡単な予知かな。ほとんどキミと一緒だよ』
『そうなんですか』
『……行く宛はあるのかい』
『えっ!』
 突然違う話題を振られてセルシアは一瞬戸惑った。そして気づく。本当は行く宛がない事を。実家にはすでにローレンツ教の手が回ってるだろう。
 ローレンツ教の勢力圏外に出たところで、どうすればいいかわからなかった。
『もし行く宛がなかったら、見つかるまでこの飛行艇にいてもいいんだよ。もしかしたそれが一番安全かもしれない』
 カインのあまりにも優しい言葉に、セルシアの頬に一筋の涙が線を描いた。
『ありがとうございます。私なんかのために……』
『私なんかてなんていうな!』
 その意識の音量にビクッとするセルシア。
『……すまない。すまないついでにその丁寧な言葉使いもやめて欲しいものだな。俺達は数少ない同じ力を持った仲間なんだ。それに何度も言うが俺は王家を捨てた。それでも壁があるなんて寂しいじゃないか』
『……ホント寂しがり屋なのね。、、、カイン』
『やっと呼び捨てしてくれたな、、、、セルシア』
 コンコンコンッ。
 そんな至福と時を打ち破るようにドアノックが鳴り響いた。
「どうぞ」
 セルシアが不満な顔をして答える。
「待たせたな」
 中に入って来たのは夜食を持って来たシルフィールだった。
 トレイの上にはパンとミルク、そしてスープや鶏肉が湯気を立てて、食欲を誘ういい匂いを部屋の中に連れて来た。
 思わずセルシアは唾を飲み込んだ。昨日の夕方から何も食べていないのだ。
 その仕草にカインがクスリと笑みを浮かべる。
 だがシルフィールはセルシアと一緒にカインがいるのに気が付くと、一瞬眼光が鋭くなった。
 テーブルの上に夜食を置いたシルフィールは、ジロリとカインを睨んだ。
「こんな夜更けに女性の部屋に入るなんて、少し不謹慎ではないか」
 その言い方に棘がある。
「あーいやぁ、色々とあってね。ついでにセルシアの力の事を聞こうと思って、お邪魔させてもらったんだ」
 カインに下心があるような感じがしなかったので、シルフィールは少し安心した。
「セルシアは凄いよ。ほんの少しの間でテレパシーができたんだ」
 カインは無邪気に笑って言った。
 しかしそれを聞いてシルフィールに衝撃が走った。
 昔カインはシルフィール達にテレパシーを試みた。しかしシルフィールを始め誰もそれを受け取ることも、送り返す事もできなかった。やはり力を持った能力者同士しか、意志の疎通はできないようだ。
 セルシアは力を持った能力者であるからできて当たり前であるが、問題はカインがそれによってセルシアへの興味が増す事だった。
 それはシルフィールにとってあまり面白い事ではない。
「……そうか」
 シルフィールはうつむいていたので、その表情はわからなかった。
「それじゃあ俺はもう帰るよ。二人ともお休み」
 そう言ってカインは部屋を出ていった。
「冷める前に食べるといい。食器は明日の朝取り来るからここ置いといてくれ」
「今日は色々とありがとうございます」
セルシアは本当に今日はこの言葉ばかりを使っている気がした。
 そしてセルシアは頭を下げていたので気が付かなかった。若干シルフィールがセルシアを見る目に、暖かみがなくなっている事に。